
揖斐線の有名撮影地、尻毛橋。朝のラッシュ時に運転されていた旧型車の2両編成。うっすらと雪をかぶった山並みをバックに忠節を目指す。770形が主力を張っていたが、朝のラッシュ時に、軌道乗り入れ用の連接車では、収容力に問題があり、700形が活躍する場面が見られた。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
今となっては、定期列車としては、軌道線乗り入れ対応の車両しか走らない揖斐線忠節〜黒野間であるが、この当時は、770形の絶対数が少なく、朝のラッシュ時の半数は700形+2320形の2連であった。共に第1線から退いていた車両ではあるが、600V区間では、なくてはならない車両であった。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
現在、定期運用を持たない、人気者の510形は、元々は定期運用を持ち、毎朝のようにその姿が見られた。晩年は、急行運用も殆ど就かず、専ら、700形と共通的な運用を持っていた。ただ、全車モーター車だった強みからか、非常にフレキシブルな運用をしており、目を楽しませてくれた。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
いくら770形の総数が少ないとは言え、日中の運転本数は2連が必要なほどの乗客もない。2320形は、朝のラッシュが終わると、夕方までの数時間昼寝をする。黒野の車庫に帰るべく、揖斐線を北上して行く。忠節行きに比べ、明らかに乗客の姿は少ない。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
ラッシュが終わると、770形に混じって、単行の750形が運用に就く。岐阜市内に乗り入れる急行の合間を縫って忠節発着の各駅停車として姿を見せた。2連運用ではツーマンであるが、さすがに単行ともなると、ワンマンカーになっている。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
尻毛橋のたもとにはグラウンドがあり、時折、このようにサッカーの練習が行われる。練習する少年たちを横目に、750形が走り抜けて行く。この風景は今も昔も変わらないけれど、走る車両はガラリと姿を変えてしまった。正に今は昔の風景である。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
岐阜市内直通の急行が黒野まで直通するのに比べ、忠節発着の各駅停車は美濃北方で折り返す運用が主になっている。現在では、各駅停車美濃北方行きも岐阜市内に乗り入れているが、この当時は750形が区間運転を受け持ち、忠節で折り返す運用となっていた。尤も、こんな高床車にしょっちゅう路面を走られても驚きますけどね。
揖斐線 忠節〜近ノ島 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
夕方のラッシュが近づくと、黒野の車庫と忠節の留置線から昼寝を済ませた2連の編成が続々と本線上に姿を見せ出す。3月の陽は短い。青空もすぐに夕闇に支配されてくる。枯れ枝の目立つ伊自良川を渡る2320形+700形、さぁ、もう一働き。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
揖斐線の急行は、岐阜市内に乗り入れる都合上、軌道線乗り入れ対応の770形の独壇場である。しかし、どのような運用の都合なのかは分からないが、1日1本片道だけであるが、2320形による忠節行きの急行が運転されていた。“急”の看板を付けた2320形が誇らしく見えた。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
元は両運転台のモーター車だったク2320形。モーターを撤去した際に片運転台に改造された経緯を持つ。通常なら乗務員扉があるはずであるが、路面電車のワンマンカーのように窓が設置されている。この独特のサイドビューを流し撮りでおさえてみた。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
春とは言え、3月半ばだと、まだ、川の水は冷たそうである。凛とした青さが、その冷たさを更に厳しく思わせる。その寒さを忘れさせるような真紅の車体を映し出した2320形。スカーレットの車体が冷気の張り詰めた空気に暖かさをもたらしたのだろうか。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
夕暮れ、嘘のように雲一つない空一面に広がるオレンジ色。そこへやって来た700形。そのサイドビューに反射るまばゆい程の夕陽。真紅の車体が、黄金色に染まる。余りの眩しさに、目も開けていられないほどである。これだけ綺麗な夕陽だと、翌朝が楽しみだ。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
通常なら、最高の夕陽は一瞬だけのはずが、この輝きだけは何故か数十分もの間続いていた。上の写真の続きのようであるが、別の列車である。本当はこの間に黒野行きの770形が来たのであるが、青い車体が夕陽の色と相殺し合って、余りにもひどい色になったので外した。反射する夕陽の角度が違う事に気付かれましたか?
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
闇が空一面を支配する頃、2320形の運用もそろそろ終わりを告げる。翌朝のラッシュまで2連の編成は、再び車庫で眠る事になる。闇に浮かぶ2条のテールライトが、白緑色の蛍光灯の鮮やかさ以上に印象深い光景になったように思う。
揖斐線 尻毛駅
撮影日 1997年3月16日(日曜日)
510形の定期運用は、今となっては思い出せないが、それ程複雑な運用が組まれていた。事前に情報を仕入れていないと、見逃してしまいそうなほど、今となっては興味深い編成が見られた。この単行の510形も、決して、団体の回送の間合い運用などではなく、ちゃんとした、通常の運用であった。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
512号が引退する直前に、510形三重連の臨時列車が運転されたが、その昔(と言うほど昔ではないが)は、三重連の定期運用があった。510形の存在感は非常に大きいものであるが、三重連ともなると、その威圧感が更に増して来る。この写真を撮った事も有り、512号さよなら三重連は結局行かず仕舞だった。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
この年の春、運用上の制限の大きかった、制御車ク2320形の全廃が決定していた。ク2320とコンビを組んでいた700形の去就が気になったが、その後暫らくは、モ750形とコンビを組むなどして、揖斐線内で現役を貫く姿が見られた。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
体質改善が進められてから、それまでの名鉄スカーレットの塗装をアイボリーを基調とした塗装に統一されてきている、岐阜市内・揖斐線。現在、アイボリーにグリーンの帯と言う出で立ちの770形であるが、元々は750形などと同じ名鉄スカーレットの1色塗りであった。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
750形が揖斐南線で活躍していた当時、750形は6両もの仲間が600V区間で走り回っていた。忠節〜黒野間の運用から追放されてから、現在では、半分の3両となってしまっている。この当時は、そんな事も考えずに、来る電車をひたすら撮っていたが、このような何気ない写真も、今となっては貴重な資料となってしまった。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
大正生まれの510形は、その車齢にも関わらず、急行運用に抜擢される事があった。市内線乗り入れ車両の数が不足していた当時、510形は、数少ない軌道線乗り入れ車両として、毎日のように活躍していた。この急行運用は今でも見られるが、この当時のように、定期運用でないのが残念である。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
前日も撮影した2320形の急行運用。平日にしか見られないこの運用も、逆に言えば、平日なら毎日のように見られた運用である。丸い“急”の円盤も、510形にだけ取り付けられるイメージがあっただけに、この運用は、何度見ても違和感をおぼえてしまった。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
段々と雲が出てきて、露出がなくなってきた頃にやって来た、2326号。この車両は、名鉄600V区間唯一の高運転台車であり、独特の顔をしていた。その経緯については全く不明であるが、このように並べて見てみると、やはり、異端車だと言う感は否めない。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
夕暮れが近づくと、昨日の、作ったような夕暮れとはうって変わって、今にも崩れそうな暗雲が低く垂れ込めてきた。西の空に輝く夕陽が、スカーレットの車体を輝かせて、より、青黒い雲の不気味さを助長している。この後、雨も覚悟したものの、こんな中途半端な天気が続いた。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
西の空に太陽が沈むころ、東の空にはだんだんと闇が迫ってくる。夕陽の赤と闇の青が混じりあい、空に薄く広がる雲を染めている。赤紫とも青紫とも言えないライラックカラーが空一面に広がり、その色は、真紅の電車を、穏やかに染めている。もうすぐ日が暮れる・・・。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
上の電車が黒野から戻る頃、空は紺色に染まりつつあった。空は、より白くなったように見えるが、車体に反射する光は、明らかに弱まっている。微妙な光の角度のズレが作り出す時間の流れ。同じ所で同じ写真が二度と撮れない事を教えてくれているようである。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
突然空一面を覆い尽くした、不気味な雲。雲の切れ目からのぞかせる黄橙色の夕陽。そのグラデーションが織り成すシルエットに飛び込んでくる2320形+700形。
時が経つにつれて、その絶妙なグラデーションは様々に色を変え、また、電車のシルエットのエッジも際立ってきた。24mmの広角レンズが作り出す歪んだ画像が更に暗雲の不気味さを醸し出していると思っているのは自分だけだろうか。
そして、夕陽が、山陰に姿を隠す頃、暗雲は更に暗さを増し、漆黒の重みをひしひしと感じさせられた。微妙な光と影のバランスが崩れた頃、夕陽の色は消えてしまい、ただ、闇が支配する世界へと変わっていった。
揖斐線 尻毛〜又丸 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
尻毛橋では完全に日が沈んだ頃、ここ、下方の鉄橋ではまだ、僅かな明かりが残っていた。手持ちでギリギリの露出を選択し、被写体がぶれない事を祈りつつシャッターを切る。1/8秒、駅に到着する寸前の速度が落ちたところでシュート。幻想的なシルエットを残して、黒野へと去って行った。
揖斐線 下方〜相羽 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)
殆ど光の残っていない夕暮れ、85mmF1.4のレンズを選び、絞り解放でシャッタースピードを選ぶ。8秒の露出に、思い切って流し撮りを敢行する。地平線の光と室内灯の明かりがオーバーではあるが、空の色からするとこの程度であろうか。
揖斐線 下方〜相羽 間
撮影日 1997年3月17日(月曜日)