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名鉄揖斐・谷汲線の車両たち


 モ510形   モ700形   モ750形   モ770形 
 モ780形  ク2320形 ホム100形 モ400形

この全ての形式は現在は廃形式となっております・・・。

〜なお、モ510形・モ770形・モ780形に関してましては、紹介文を本館とそろえております。予めご了承ください。〜



モ510形  モ510形

 1926(大正15)年に日本車輛で製造された、元美濃電気軌道笠松線用セミボ510形。名古屋鉄道との合併に際し、笠松線が名古屋直通となったために美濃町線に転入してきた経緯がある。当初5両が製造された。1960年代より連結運転や揖斐線への直通運行への転用に伴い、連結器の取り付けやブレーキの変更、塗装の変更を、514・515号は更にパンタグラフ化、4個モーター化といった改造を受けた。長くモ520形と組み、新岐阜〜本揖斐直通急行の任を担っていたが、後述のモ770形の登場に伴い、モ520形と共に511・515号が廃車となった。その後、美濃町線新関〜美濃間の廃止に伴い512が廃車、最終的には513と514の2両が最終日まで在籍していた。晩年は谷汲線の増発運用や谷汲線亡き後は、主に団体輸送に就くなど、予備車として黒野に常駐していた。512は廃車後旧美濃駅にて展示保存されている。

 モ512+モ513
 撮影場所  美濃町線 金園町九丁目〜競輪場前 間


モ700形  モ700形

 元は初代名古屋鉄道のデセホ700形であったもの。1927(昭和2)年に日本車輌で10両が製造された。登場時は両運転台車であり、美濃電気軌道合併後の名岐鉄道時代には押切町〜柳橋間で名古屋市電に乗り入れた実績を持つ。1948(昭和23)年に根城としていた西部線が昇圧されると支線運用に回るようになり、各地を転々としていた。その後、1978(昭和53)年の瀬戸線昇圧に伴い揖斐・谷汲線へと転属してきた。途中、一部の車両が福井鉄道や北陸鉄道へと譲渡され、最終の在籍は3両となっていた。片運転台改造がなされていたため、ク2320形と組んで忠節以遠の揖斐・谷汲線で活躍していたが、ク2320形が廃車となった後、連結相手が一時的にモ750形に変わったが、ク2320形の後を追うように1998(平成10)年に全車引退した。

 モ704+ク2323
 撮影場所 揖斐線 旦ノ島〜尻毛 間


モ750形  モ750形

 モ700形の増備車として、やはり10両が登場した初代名古屋鉄道のデセホ750形をその始祖とする。登場は、1928(昭和3)年、同じく日本車輌製である。登場時、デセホ700形との違いは車輪径のみと言う兄弟車であった。名岐鉄道時代にはデセホ700形と同様、名古屋市電に乗り入れた他は、755・756の2両は国鉄(当時)下呂直通特急専用車として、車内はお座敷列車となっており、新鵜沼からSLに牽引されていた。さらに759・760の2両は製造当初からの自動扉だった事は特筆に価する。1948(昭和23)年の西部線昇圧に伴い、モ700形と命運を共にし、最後は揖斐・谷汲線に流れ着いた。長く6両が活躍していたが、最後は3両が黒野以遠の運用に従事するようになった。その後、揖斐線黒野〜本揖斐間と谷汲線が廃止になった際に運用から離脱した。最後の3両は全車保存されており、755が旧谷汲駅で最後の姿で保存されているのを筆頭に、754が車体を半分に切断して、グリーンに塗装を復元した上で瀬戸市の複合施設に、751が北方町(当時)のパン製造小売店「歩絵夢」店内に車体のみがそれぞれ利用されている。

 モハ141−1号+モハ141−2号
 撮影場所 福武軌道線 木田四ツ辻〜福井新 間


モ770形  モ770形

 市内線〜揖斐線直通車の近代化を目指して1987(昭和62)年〜1988(昭和63)年にかけて日本車輌で製造された連接車。同車の登場により、モ520形は形式消滅した。先に登場した美濃町線用モ880形に則して製造されたが、市内線の急カーブに対応して車体幅は狭くなっているほか、600V専用車両ということもあり、当初から冷房付であった。4編成8両が登場している。当初からワンマン対応であったが、完全ワンマン化は1996(平成8)年からであった。長くスカーレット1色であったが、1997(平成9)年に登場した後述のモ780形に合わせてアイボリーベースの塗装に変えられた。岐阜市内・揖斐線の廃線まで全車健在であり、路線廃止後は全車福井鉄道へと譲渡された。
 なお、このモ770形は2代目であり、初代は竹鼻鉄道デボ10形(予定・実際は形式が付く前であった)を引き継いだ車両で、竹鼻線や豊川線などを渡り歩いた後、最後はTc車となってク2170形とその名を変えて、揖斐・谷汲線に流れ着いたと言うのが興味深い。

 モ77+モ77号
 撮影場所 岐阜市内線 早田〜忠節 間


モ780形  モ780形

 揖斐線直通列車増発を旗手に、日本車輌で1997(平成9)年から翌年にかけて7両が製造された。名鉄600V線車両としては初となるVVVFインバーター制御車で、揖斐線の新しい顔として登場した。岐阜市内線と揖斐線の直通運転を主に、岐阜市内線線内運用にも就き、単行から最大3連を組むなど、同線の主力として活躍していた。揖斐線末端部・(試運転として)谷汲線にも運用実績を持ち、幅広い運用をこなしていた。新製時からアイボリーベースの塗装を纏っていたが、一時はその殆どの車両がラッピング車となっていた。岐阜市内・揖斐線の廃線まで全車在籍しており、路線廃止後は全車豊橋鉄道へと譲渡された。

 303−1号+303−2号
 撮影場所 福武軌道線 本町通り(現・廃止)〜公園口 間


ク2320形  ク2320形

 1926(大正15)年、愛知電気鉄道が豊橋延長の際に日本車輌が送り込んだ電7形がその前身である。愛電初の半鋼製、セミクロスシート車であった。その後デハ3080形となり、名鉄に合併してからモ3200形となったが、戦後まで豊橋線の主力として君臨しつづけた。その後、1959(昭和34)年と1964(昭和39)年の2回に分けてTc化改造を受け、10両が登場したうち2回目の改造対象となった7両が当形式となっている。1965(昭和40)年には600V改造を受けて瀬戸線に転属、瀬戸線昇圧となった1978(昭和53)年に3両が廃車され、残った4両が揖斐・谷汲線にやって来た。なお、ク2326のみが高運転台車となっており、顔つきが若干異なる。モ780形の登場により、揖斐線の廃止の前に姿を消している。

 ク2325
 撮影場所 揖斐線 忠節〜近ノ島 間 (忠節電留線)


ホム100形  ホム100形

 1984(昭和59)年に名鉄住商にて新製された15t積載のホッパ貨物車。9両が製造されたうち2001(平成13)年に2両が矢作橋から転属となった。それまで工臨に使用されていたト1形の置換え目的に106・107がやって来ている。矢作橋常駐の残る7両は同年中に廃車となり、3両が豊橋鉄道に譲渡された。暫く黒野駅の端にいるところが見られたが、揖斐線の全線廃止に伴いお役後免となってしまっている。

 ホム106+ホム107
 撮影場所 揖斐線 黒野


モ400形(保存車)  モ400形

 1952(昭和27)年に登場した名鉄最初の連接車であり、770形の始祖とも言える車両。元を正せば、1926(大正15)年に日本車輌で3両が製造された美濃電気軌道揖斐線用セミシ64形がその前身。元より谷汲鉄道(後の谷汲線)との直通運転用に誕生した二軸単車であったが、自重15tと極めて鈍重な車両であった。美濃電気軌道が名古屋鉄道と合併し、モ110形を名乗るようになった。当形式はそのモ110形のうちモ110とモ111の車体を改造して、20m級の連接車に仕立て上げたもの。それまで単車ばかりだった揖斐・谷汲線に突如現れた連接車ということで、怪物の異名を持った。収容力にものを言わせて大活躍したが、登場したのはこの2両1編成のみに留まっている。1973(昭和48)年、谷汲線での運転を最後に引退。終始揖斐・谷汲線から離れる事はなかったが、現在、何故か縁も所縁も無い岡崎市でその姿をとどめている。

 モ401号
 撮影場所 岡崎市南交通公園



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