
路線概要
名古屋鉄道(以下、名鉄と表記)揖斐線は、1914(大正3)年3月、岐北軽便鉄道として、忠節〜美濃北方間が開業したのが始まり。1921(大正10)年11月岐北軽便鉄道は美濃電気軌道と合併、美濃電気軌道北方線となる。美濃電になってから後、1926(大正15)年4月に黒野まで延長、路線名も揖斐線と改称している。昭和3年に本揖斐まで開業している。
谷汲線は美濃電気軌道の傍系、谷汲鉄道として、揖斐線が黒野に延長となった、1926(大正15)年4月に黒野〜谷汲間の全線が開業している。
昭和5年8月、美濃電気軌道は名古屋電気銕道、蘇東電気軌道、尾西鉄道等を母体とする名古屋鉄道(初代)と合併、同年に名岐鉄道と社名を変える。昭和10年3月に各務原鉄道を合併、再び社名が変わり、名古屋鉄道揖斐線と名乗る。
谷汲鉄道は昭和19年3月、碧海電気鉄道と共に名鉄に合併、名古屋鉄道谷汲線となり、揖斐線と共に名鉄の支線として運行が続けられて来た。
しかし、1990年代より、名鉄グループ全体の業績が悪化、不採算路線の整理を断行する方針がまとまり、揖斐線黒野〜本揖斐間及び谷汲線全線を、2001年度中の廃止対象路線に指定することとした。名鉄は沿線自治体と交渉を進めていたが、沿線住民からは強い反対が出ており、揖斐川町・大野町・谷汲村は存続あるのみと主張。しかし特に谷汲線は名鉄グループ全体の最大赤字をはじき出していたことから、地元引継ぎも困難を極めた。
沿線自治体との交渉が暗礁に乗り上げた2000年、鉄道事業法が改正され、地元の同意なしに鉄道事業の撤退が可能になったことから、名鉄側は、2001年9月末の廃止を通告、これには各自治体も受け入れざるを得ず、代替交通手段の確保へとその運動のシフトが移動していった。
そして、2001(平成13)年9月30日、揖斐川町・大野町・谷汲村(現・揖斐川町)内で路線バス路線を運行していた名阪近鉄バスに転換と言う形で、同社八百津・竹鼻線(江吉良〜大須間)と共に廃線となった。
現在、揖斐線の残る区間(忠節〜黒野間)に関しても、業績の改善が見られないことや、他路線との規格が大きく乖離しており、専用部門を設けるには規模が小さすぎるなどの理由から、岐阜市内・美濃町・田神各線と共に、路線廃止への方向で計画が進められ、2004年3月末日を以って揖斐・岐阜市内・美濃町・田神の各線は廃止となった。
当ページでは、名鉄揖斐・谷汲線の廃止前数年間の写真を中心としたギャラリーを開設しております。
車両概要
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750形 |
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780形 |
510形 |
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揖斐・谷汲線のその後(予定) |
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